どうもみなさん、おはようございます。
1000年先の未来に着物を残す為、着付師からネオKimonoスタイリストになったミシェル由衣です。
着物のサスティナビリティーにフォーカスする記事を書きます。と言っていながら早速脱線させてください!着物のサスティナビリティーについてお勉強する為、色々と日本の衣装について本を読み漁っていた所、ちょっと書きたくなるトピックが出てきてしまったのでそれについて先に書かせて頂きます。
自由に着物を着たいなぁ。
と思う様になってから、ずっと不思議だった事それは
「なんでただ着るものに色々とルールーがあるの?」
という疑問でした。普段着る普段着にケチがつくのって何か変な感じしかしていなかったのですが、その理由の1つかもしれない物を発見しました!
そうそれは今回のBlogタイトルに書いてある通りです。
江戸城内では武士の皆さんは、かなり厳しくしっかりと着るものが決まっていた様です。
江戸城では長直垂(ながひたたれ)に風折烏帽子(かざおりえぼし)を用います。これは鎌倉時代からの武士の正装で、四位以上の武士は無地、五位以下は「大紋」と呼ばれる大きな紋の入ったものを着ます。…
出典元:絵でみる江戸の町とくらし図鑑
この後にもかなり細かく指定があるのが分かる内容が書かれていました。
また絹は庶民は着る事が許されていなかったなど意外と色々な制限が。
上に行けば行くほど礼服を着なければならず結果的にルールが色々とあった様です。
⬆︎絶対お城に入れてもらえない格好だね笑⬆︎
でふと思ったのです。
こういうドレスコードガチガチだった着物の影響を受けて、現代の着物もルールを設けたのかなぁと。なんだかごっちゃになって普段着物までこのルールに縛られたのでは無いでしょうか?着付け教室に行くと礼服については色々と細かく教わるのも納得しました。
私よく、「江戸時代の着物は自由だったんですよ〜。」と言っていたのですが、正確には
「江戸時代の庶民の着物は割と自由だったんですよ〜」
が正しかったです。しかも庶民も使っていい生地などには制限があったりと、今より大変だった時代もある様です。その中で存分に楽しみ尽くしていたのが江戸の庶民の皆さまだったのかもしれません。
しかも絹を着る事が禁じられて居たなら江戸時代が終わって絹OKとなった時の庶民の絹着物への憧れは一層強かったんでしょうね。
じつはまだまだ読んでいる最中で、知りたい事だらけ!
でとりあえず思いついた疑問。
花魁は庶民じゃ無いって事で絹きてたんだよね?商家のお嬢さんは素敵なお振袖きてるけど庶民じゃなかったって事?
そもそも庶民の定義は??などなどですw
また面白い内容見つけたらシェアさせて頂きます。
明日こそは「四角のまま仕立てる👘着物の役目が終わっても無駄のない着物生地」を書こうと思います。多分・・・。
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