安土桃山時代に存在した名護屋帯は現在の名古屋帯とは全く違うものだった

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どうもNEOキモノStylistのミシェル由衣です。

突然ですがみなさん、名護屋帯ってご存知ですか?
あのお太鼓結びを結ぶための名古屋帯とは全く違う帯が同じ名前で存在していた安土桃山時代の名護屋帯について今回はお話ししていきます。

現代のように帯の幅がファッションの為に広くなる前はただの紐だった時代や、
おしゃれな組紐、現代の帯よりはずっと幅の狭い帯だった時代など、
実に長い歴史の中で、帯一つとっても色々と移り変わっています。

そんな中、個人的に現代にも取り入れやすそうだなぁと思うのが最初にお話しした
「名護屋帯」読み方は名古屋帯と全く同じらしいのですが、見た目は全然違います。
恐らく見た目は帯締めに近いものなんだろうなと思われる(長さはもっと長いと思う)組紐タイプの帯です。

しかも意外と長いこと使われていて、江戸時代中頃までは小袖(これについても今度ブログに書きますね)に用いて使っていたそうです。
写真は風俗博物館の日本服飾史より借りてきたものがこちら。

正面の写真だと分かりづらいと思いますが、後ろを見ると紐状であることがわかると思います。
帯締めよりも房がずっと立派なのもわかるかと思います。

帯については本当に奥が深すぎて、調べても調べても飽きないとても面白い移り変わりを見れるので、
ぜひご自身で調べてほしいのですが、この紐だけで止めて着物を着るっていうアイディアとっても良いと思いませんか?

着物を着るのが難しいと思っている人に、さっと羽織って留めるだけだよ。と言えたらいいなぁと思いました。

そこで!小袖とはまた違う、NEOキモノな雰囲気を出したこのスタイルの探求をしていこうと思うので、みなさん楽しみにお待ちください!

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